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1週間ぶりの東京。
道端には至るところに雪の塊が残っている。 ニュースでは見ていたが、よっぽど降ったのだろうなぁと実感。 函館は寒かったけど、このところそんなに雪は降らなかった。 今年は既に2度も函館に帰っている。 正月、そして祖母の葬儀だ。 正月にお見舞いへ行った時は、いくらか体調が良さそうだったばあちゃんが、それから一週間後に亡くなった。 急な連絡で驚きと、悲しみと、混乱でいっぱいになったが、亡くなる前に会えてよかったなぁという想いもあった。 去年の9月にじいちゃんが亡くなってから100と10日。 じいちゃんを追いかけるようにして、ばあちゃんも逝ってしまった。 仲の良い夫婦は亡くなる時も近いと聞くが、本当にそうなのかもしれない。 初孫だったから心配だったということもあるのだろう、大学を出てからもプラプラ外国にばかり行ってた僕に、ばあちゃんは「いつまでも、そんなことしてたら嫁さんなんてもらえないよ」と厳しい口調でよく言った。 僕が結婚の挨拶に帰った時も、母親にこっそりと「ちゃんと、まとまればいいね」と心配そうに話していたらしい。 本当に、ずいぶんとたくさん心配をかけた。 黒松内でじいちゃんが亡くなる少し前に、函館の病院で入院することになったばあちゃんは、近くにいれないことに歯がゆさを感じていたに違いない。 体力的に車移動は難しく、日によっては意識もはっきりしなかったばあちゃんは、じいちゃんの葬儀に参加することもできなかった。 父はじいちゃんが亡くなったことを、ばあちゃんに伝えるどうかで迷ったらしいが、意を決して話すと朦朧とした意識の中で言ったそうだ。 「安心した」 体が思うように動かなくなり、薬の副作用で意識が朦朧とする中でも、ずっとばあちゃんはじいちゃんのことを心配していたのだろう。 僕は、最愛の人の訃報を聞いて、安心したなんて言葉を言えるだろうか。 きっと、遥かに程遠い。 愛こそすべてだと思ったことはないが、少なくともこれ以上の愛はないかもしれないと思った。 きっとじいちゃんを一人にしておけなくて、追いかけて行ったんだろう。 厳しいけど、本当に愛のあるばあちゃんだった。 仕事でドイツへ行く前の嫁も駆けつけ、最後は阿部家らしく賑やかに送り出すことができた。 気のきいた言葉は今も浮かばない。 ただただ、感謝の想いに尽きる。 じいちゃんと仲良く、みんなを見守っていてほしい。 ばあちゃん、ありがとう。
by abe-kohey
| 2013-01-19 04:56
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