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この時期の函館には独特の埃っぽさがある。
雪の下から久々に顔を出した土と、冬道の滑り止めに撒かれた塩カルや砂利、それにタイヤの削りカスが混じり合ったような埃っぽさだ。 時々雪もチラつくし、なんだか見通しがよくない空気が漂っている。 それを打ち晴らすのは他でもない希望なんだろう。 未来に向かう前向きな姿勢を今日、僕はたくさん見た。 「あんたのお父さんは作家として将来有望だったんだよ。」と教えてくれたのは、僕が小学校の頃に習字を習っていた父の大学の同級生だった。 うちの父は教育大から、研究生として東京芸大へ行き、勢力的に作品を作り続けていたらしい。 全道展や日展でも入選や受賞を果たし、周囲からは将来作家になるだろうと思われていたそうだ。 その話を聞いて僕は心底驚いた。 なぜなら父はアーティストではないし、そんな素振りを見せたこともなく、僕が物心ついたころから学校の先生をしていたからだ。 その日の晩、僕は父親に事の真相を尋ねてみた。 すると父からは意外な過去が語られた。 確かに父は芸大で作品作りに励んでいたが、じいちゃんから北海道に戻ってくるようにとのお達しを受けたそうだ。 当時やる気に満ち溢れていた父は納得いかなかったようだが、長男でありながら農家を継がせずに好きな学校に通わせてもらった親には頭があがらず、北海道に戻って教員の道を選んだらしい。 父が長男である僕に帰ってこいなど一言も言わないのは、似たような自分の経験があったからなのかもしれない。 そんな父が今年で定年を迎える。 父が働く姿を見たことのなかった僕は、最後の卒業式を見届けようと函館に帰ってきた。 卒業式用に飾り付けられた校内は、華やかだけどそこか寂しいような雰囲気があって、僕は自分の卒業式を思い出した。 もうかれこれ15年以上も昔の話だというから驚く。 体育館には紅白の幕が張られ、檀上には国旗と校旗、背景には大きく『卒業証書授与式』の文字。 あそこで父が卒業証書を渡す姿を想像すると、僕の方まで緊張した。 吹奏楽部の演奏が始まって、盛大な拍手と共に卒業生が入場してくる。 15歳になる彼らは、僕が15歳だった頃に認識していた15歳の自分よりも遥かに幼く見えたが、寸足らずになりつつある制服は3年間の成長を何よりも雄弁に物語っていた。 教頭先生から開会の辞が述べられ、父が檀上に上がった。 いよいよ、父にとって最後の卒業式が始まる。 父は中学校の教員のため、僕が高校に入った時には必然的に父の教え子と同級生になった。 僕は父が技術の授業を教えていることは知っていたが、当事者である教え子たちから聞く父の実態は僕の想像とはまったく違った。 「節分に全クラスを回って豆を撒いてた!」「昼休みに体育館で一緒にバレーしたわ!」「生徒に混じって体育祭で走ってたよ!」など、彼らの口からは次々と信じ難い出来事が語られた。 「マジで!?そんな先生いるかよ、オイ。」僕がそう思ったのも無理はない。 実際に他の先生や生徒からも、校長になっても体育祭に出ていただとか、昼休みはグラウンドや体育館にいたという話を聞いた。 どうやら、父は少し変わった先生だったようだ。 でも、みんなとても好意的に話してくれているのが印象的だった。 昨日の晩、「俺はさ、卒業証書を渡すのに生徒と向き合う時が一番ダメなんだよなぁ。そいつらとの思い出が浮かんできてさ。」と話していた父は、時々ハンカチで目や鼻をふきながら、卒業生ひとりひとりに卒業証書を渡していた。 何か言葉を添えたり握手をしたりしながら、別れを惜しむように、卒業を祝うように生徒たちと深く頷き合う父の姿は、3年間で卒業生と築きあげた距離感を表しているようだった。 言葉を詰まらせながら函館なまりの式辞を読み上げると、生徒席はもちろんのこと保護者席からもすすり泣きが溢れる。 女子たちは肩をふるわせながら声を上げて泣き、男子たちは明日からもう着なくなってしまう制服の袖でゴシゴシと顔中を拭っていた。 贔屓目ではなく素晴らしいスピーチだった。 恥ずかしながら僕の涙腺も完全に緩みっぱなしだった。 最初は自ら進んで歩み始めた道ではなかったかもしれないが、父は今、教員をやっていてよかったと心から思っているだろう。 僕も誇り高い仕事をしようと心から思った。 卒業式が終わった後、僕は校長室に通された。 いくつになっても居心地のいい場所ではない。 目を赤く腫らした父に「お疲れ様」と伝えようとしたが喉元が震えてしまって言葉にならず、握手をするのが精一杯だった。 校長室の黒板には見慣れた父の文字と、いくつかの作品が飾ってあった。 「ギャラリーでもあるまいし、こんなとこに自分の作品飾ってどうすんの?」と聞くと、「遊びに来た生徒に見せるべや。」と嬉しそうに語った。 父は退職してからまた作品を作るという。 父の仕事の関係で転校の多かった僕は、別れのイメージが付きまとう春が苦手だった。 だけど、新しいことがたくさん始まる春は、やはり希望に溢れていてほしいなと思った。 土や埃が舞う春の函館の視界を晴らすのは希望だと実感する1日だった。 今日、母は寿司をとるという。 僕は、東京から美味い酒を持ってきた。 弟は1年で一番忙しい時期らしいが、終わって駆けつけるらしい。 東京で仕事をしている妹や嫁にも電話しよう。 大きな勤めを終えた父をたっぷりと労う夜にしようと思う。
by abe-kohey
| 2013-03-15 18:41
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